姫路城論考 1 (樹木)
姫路城の景観は私が姫路城を撮り始めた45年前とは大きく変わった。
樹が大きくなり過ぎ見通しが悪くなってしまったのだ。
城郭に大木は似合わないと私は思う。大木はその根が石垣を狂わせる。台風などで倒れる
と建造物を傷つける。景観・見通しが悪い大樹が養分を吸収してしまい、園芸種の樹が育たな
いなどの理由からである。
天守閣から直接の距離にしてわずかニ、三百メートルの地点にヒマラヤシーダーやメタセコ
イヤが植えられている。どんどん大きくなり城郭としての景観を阻害している。ある時期に緑化
推進のために植えられたと聞いているが、ヒマラヤシーダーやメタセコイヤはもちろん日本の
在来種ではなく城郭には不釣り合いである
帯の櫓東面には「姫路城大天守西心柱二代目檜」が記念植樹されている。趣旨は判るが、
なにも場内に植える必要はなかったと思う。今は高さ10メートルくらいだが、檜は成木になると
30~40メートルにも達してしまう。ヒノキは「火の木」と言って屋敷内には植えないものだと聞
いたことがある。あの場所に植えることを文化庁は許可したのだろうか。100年先、200年先
に大木になったらどうするのだろうか。
百閒廊下で囲まれた西の丸庭園は、庭園ではなく森林公園のようになってしまている。。手
入れを怠ったばかりに樹木が大きくなり、本来の姿からかけ離れた庭園になってしまっている
のだ。
大天守閣庭園の備前丸に植えられているエノキ2本は巨大化してしまった。樹齢120年ほど
と思われるが、もう何百年も育ったように見える。よく見てほしい。根が石垣を狂わしている。
エノキは鳥が種を運んできて成長する。ついうっかりすると何処にでも生え、小さい内に手入
れをしないと巨大化して手の施しようがなくなってしまう。
また、シロトピア公園はじめ周辺は、あまりにも大きくなる植えすぎている。特に一時期、楠
木がどんどん植えられた。成長が早く、新緑の美しい樹だが、城には合わないと思う。
北御屋敷跡は西洋庭園ではなく、町割りの遺構表示をして、サツキ園や紫陽花園、梅林園
などを計画するべきであると私はと思う。
播州赤穂駅から城までの街路樹は松並木、彦根の街路樹も(1部ですが)松を植えている。
姫路も大手前通りの2号線以北は松並木にすれば、いっぺんに城下町の雰囲気が醸し出さ
れると思うのだが如何だろうか。
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姫路城論 2 (城内の路面舗装)
姫路城を訪れるたびにがっかりすることの一つに路面舗装がある。路面の舗装箇所がどん
どん増えていくことで、つい最近までは、天守閣群北の腰曲輪がコンクリート舗装されてしまっ
た。たとえば姫路城の場合、大手門(桐二門)を入って登閣口~出口、菱の門~西の丸~
天守閣まで95%が舗装されている。
彦根の場合、表門木橋~登閣口~天守~玄宮園庭園~出口まで95%未舗装である。
好古園は95%舗装されているが、四国の栗林公園を歩いてみたが、舗装は見あたらない。
舗装は、観光客のためと言うが、真のおもてなしはとは、そんなものではないと思う。観光客が
求めているのは何か、それは情緒であろう。
小さな私のギャラリーを訪れる観光客から話を聞く機会があるのだが、姫路城は素晴らしい
、しかし、城下町の情緒にかけると異口同音に聞かされる。
近代的舗装は情緒や雰囲気を壊し、自然に優しくないと思う。グローバル的に見てもCO²・
京都議定書に反するのだ。
夏の見学者は暑かったと言う。もちろん夏はどこでも暑いが、姫路城は特に暑い。その理由の
一つは、城内の路面舗装であると思う。
近代的な舗装は、景観上、管理上もよいように思われがちだが、ますます景観を悪くしてい
る。アスファルト舗装や真土舗装は確かに出来上がった直後はきれいで翌整備されているよ
うに見える。、しかし、年月が経つと、ひびが入り、のちの追加工事などの際、つぎはぎ路面に
なるのである。
近代的舗装ではなく、古来の土を搗く方法も検討すべきだ。鉄製の柵ではなく竹が良い。
排水溝の蓋も鉄製でなく、木製で考えるべきだ。(城内の一部は配慮された竹柵や木製蓋が
採用されている。
管理が大変の様に思われるが、一つの提案として、屋敷にいる小番頭のような方を姫路城
にも常駐させる方法はどうだろうか「姫路城見守隊」を結成し、大工、植木、土方などの補修の
仕事をしてもらうのは如何なものだろうか。
一言で言えば、自然にやさしい江戸時代の工法で整備し、城内に入るといつでも時代劇が撮
影できるという雰囲気保全を念頭に進めていただきたいのだ。
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姫路城論考 3 (案内板・記念碑)
姫路城の案内板はなぜモダンな金軸性なのだろうか。一つが450万円のチタン製のものま
である。もう15年も前の事だが,高価なチタン製の案内板が随所に出来た。そして城内有料
区域内にもチタンの案内板を立てることを知った。これに反する民間人と市の担当者が数回
の協議を重ねた。そして有料木域内に金属製のモダンな案内板は作らないという方針が決
められた。
数年間は守られていたのだあが、担当者が変わって、いつの間にか元の木阿弥である。
有料区域内も金属製の案内板が増え、それも異常に数が多すぎると思う。情緒もなにもあっ
たものでない。順序標識を増やしても、迷う人が減るとは限らない。案内板を豪華にしたから
読まれるとは限らない。看板類はなるべく少なくする方向で進むべきである。
昭和の築城が成った時、年間二百人の入場者があった、案内板の数は今の十分の一もなか
ったと思う。それでも大きな問題は生じなかった。
時代の流れだと言えばそれまでだが、今は天守閣内に「階段転倒注意」、「順路」、「禁煙」、
「落書厳禁」、「飲食禁止」、「土足厳禁」などが四か国語表示され、数多く設置されている。デ
ザインを考慮して書かれている文字はかなり近づかなければ読めない。例えば、順路表示は
木版に墨で矢印を表示するだけで万国共通である。禁煙も斜線の禁止マークの中にタバコの
絵柄を描けば万国共通だ。
人は至れり尽くせりにすれば、返って自立心がなくなり、注意散漫になる。電車内放送でも以
前のくどい放送はなくなり、最近はシンプルになっている。関東のある温泉は、近代看板を徹
底的に排除した結果、情緒がでて、評判の温泉になった話を聞いたことがある。
公共の駅や道路標識などは、英語表記、場合によっては中国語、韓国語の表記が必要だが、
城郭の説明は、私はほどほどで良いと思う。各国語の地図入りリーフレットを用意し、登閣口
で配れば充分と思う
年間六十万人が入場するという彦根城に一度行ってみて欲しい。案内板は木製で、数も多くな
い。その代わり、入場の際、解かりやすい解説付き地図がもらえる.それで充分でないだろう
か。
案内板を造る時は、維新前だったらどういう工作で造るか、先ずは考えて欲しいのである。可
能な限り当時の作法で造るべきである。
もうひとつ姫路公園には「創立〇〇周年記念植樹」とか「〇〇認定記念」の石造、あるいは
金属製の記念碑があちこちにある。中曲輪内に五十は下らないだろう。その団体は記念事業
を何時までも残したいことは分かるが、木製に限定し、朽ちるまでの表示で充分と思うのだが。
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姫路城論考 4 (電柱・外灯・天守の照明)
今から約二十五年前、姫路城内三の丸広場や、搦め手に立っていた二十九本の電柱と電線
が地下に埋設された。
当時、青年会議所の無柱化運動に対して、姫路市、兵庫県、文化庁、関西電力などが答えて
くれたのであった。
しかし、まだ無柱化されない電柱が中曲輪の中にのこされているのである。無柱化の推進力
がなくなって、動物園内やシロトピア公園内の一部の電柱は残されたままだ。
そして大きな問題は、三の丸広場や搦め手の電柱がなくなり、すっきりしたのに、電柱に変
わって、近代的な外灯が高々と建ったのである。このたび整備された桜門跡付近にもアルミニ
ュウムの外灯が高々と建った。高々とした外灯はどうかと思う。外国の公園で見た外灯は高々
と建った外灯ではなく、人の目線以下を照らす照明であった。
岐阜県美濃市のうだつの上がる町並みは電柱や外灯が一切ない。妻籠目も同様だ。彦根城
はご覧のとうりだ。空に向かった照明は光エネルギーの無駄でもある。
三の丸広場にについては、いっそうのこと夜間入城制限して、日没後は休ませるという画期的な
ことを考えてもいいと思う。
天守群への照明は否定しているわけではない。今の時代必要である。しかし、近代建築なら
ともかく、城郭建築に六億円も出して照明デザインに凝る必要はなかったと思う。今から十数
年前、それまであった照明を、夏、冬、平日、週末で変えていた。
照明も文化である。遊びも必要だが、照明光源の位置にこだわり、配管や照明灯の工事で大
きく遺構を壊す場合もある。
明るい照明は、また姫路城の城漆喰をよごし、屋根の目地を壊すのだ。
なぜかと思われるだろうが、夜間、昆虫が白壁に向かって飛んでくる。それを捕食するため蜘
蛛が軒下に巣をかける。その蜘蛛の巣を払うため、競争入札で、落札した業者が大屋根に上
がり目地漆喰を壊すのである。十二月、蜘蛛の巣を払うのを間近で見るとハラハラする。目地
漆喰がバラバラという音を立てて落ちている。
人間にはよく見えて、昆虫には見えにくい光源があるのではないか、専門家の意見が聞きた
いところだが。
外灯の話と少し違うが、動物園内の飛行搭は、何とかならないものか。城見台から天守を見
れば、遊園地の飛行搭の先端が見えるのである。城見台は、姫路市が選定した姫路城百景
のひとつであるのだが。 |
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姫路城論考 5 (防災工事について)
防災事業についての意見を述べると、では姫路城が火事で焼けても良いのかと極論煩悶さ
れる。問題なのは、この事業について、どこまで情報を集め、幅広く検討されたのかどうかな
のである。
姫路城防災計画の起案は防災に関心ある見学者が、姫路城は消防法違反と騒いだのである
。
そのことが新聞報道され、防災計画を立てる契機になったのだ。管理側の立場はよくわかる。
万一に備えてという大義名分だが、警備員の配置、入場制限など多方面から充分に検討され
たのであろうか。
姫路城は十億円近くを費やし、平成十四年防災工事が完成した。工事は赤外線センサーを張
り巡らせ、建造物にはスプリンクラーを設置、監視カメラもいたるところに設置した。スプリンク
ラーヘッドは天守閣内に1000個、監視カメラは屋内に47台、屋外に15台、軽62台だ。机上
では万全の体制で、防災工事を施したのだ。
防災工事は姫路城を守るといいながら、実は姫路城を攻めていると私は思う。
スプリンクラー、監視かめら、センサーの設置のため、城内に延々と配管・配線を敷設したに
だ。以前からある消火栓への給水パイプにくわえての敷設である。文化財を著しく壊しての工
事だ。中継としてポンプアップの機器を置き国宝の建造物に孔を開けまわり、パイプを張り巡
らせたのだ。
その天守にかかる設備の重量は、素人目に見て150トンは下らないと思う。一説には250ト
ン以上とも言われている。
昭和の大修理が終わったとき加藤得二さんは、これで400年は大丈夫と云われ、開城してみ
るとあまりにも多い見学者を見て、耐久性に問題が出てくると言われたのを覚えている。300人
分以上の重量が常にかかると、耐震性は低下し、建物の寿命は短くなるのである。加藤さんが
生きておられたら何と言われるであろう。元技官の西村さんは論ずる以前の問題であるという。
監視カメラやポンプアップを作動させるため電機も入った。ひとつ、漏電の心配が増えた。また
、スプリンクラーや監視カメラ、地下埋設管の寿命はせいぜい数十年だろう。故障、誤作動が
起こった場合どうなるのか。現に昭和の築城が成ったとき敷設していた消火栓配管は35年で
一部近漏水していたのだ。
本来の天守内は火の気のないところ、生活の場でないので失火もない。一番心配なのは人為
的破壊行為だ。天守への入場制限、守衛を増やすことや、美術館のように見守りボランティア
ガイドに常設してもらう方法を姫路城にも導入されるべきである。人間の目が一番なのだ(どこ
の城だったか、天守内にボランティアガイドが常設し、見守りと同時に親切に対応してくれたの
が好印象だ)。
また、桂離宮や、修学院離宮のように、特に希望する者のみ内部見学を許可し、小グループ
に案内人役が1人付き、天守群に入るという方法なども考えられた。
すでに完成された防災工事、出来上がった設備が充分に活用されることを願うのみだが、一
つの意見として記録に残しておきたい。
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姫路城論考 5 (防災工事について)
防災事業についての意見を述べると、では姫路城が火事で焼けても良いのかと極論煩悶さ
れる。問題なのは、この事業について、どこまで情報を集め、幅広く検討されたのかどうかな
のである。
姫路城防災計画の起案は防災に関心ある見学者が、姫路城は消防法違反と騒いだのである。
そのことが新聞報道され、防災計画を立てる契機になったのだ。管理側の立場はよくわかる。
万一に備えてという大義名分だが、警備員の配置、入場制限など多方面から充分に検討され
たのであろうか。
姫路城は十億円近くを費やし、平成十四年防災工事が完成した。工事は赤外線センサーを張
り巡らせ、建造物にはスプリンクラーを設置、監視カメラもいたるところに設置した。スプリンク
ラーヘッドは天守閣内に1000個、監視カメラは屋内に47台、屋外に15台、軽62台だ。机上
では万全の体制で、防災工事を施したのだ。
防災工事は姫路城を守るといいながら、実は姫路城を攻めていると私は思う。
スプリンクラー、監視かめら、センサーの設置のため、城内に延々と配管・配線を敷設したに
だ。以前からある消火栓への給水パイプにくわえての敷設である。文化財を著しく壊しての工
事だ。中継としてポンプアップの機器を置き国宝の建造物に孔を開けまわり、パイプを張り巡
らせたのだ。
その天守にかかる設備の重量は、素人目に見て150トンは下らないと思う。一説には250ト
ン以上とも言われている。
昭和の大修理が終わったとき加藤得二さんは、これで400年は大丈夫と云われ、開城してみ
るとあまりにも多い見学者を見て、耐久性に問題が出てくると言われたのを覚えている。300
0人分以上の重量が常にかかると、耐震性は低下し、建物の寿命は短くなるのである。加藤さ
んが生きておられたら何と言われるであろう。元技官の西村さんは論ずる以前の問題であると
いう。
監視カメラやポンプアップを作動させるため電機も入った。ひとつ、漏電の心配が増えた。また
、スプリンクラーや監視カメラ、地下埋設管の寿命はせいぜい数十年だろう。故障、誤作動が
起こった場合どうなるのか。現に昭和の築城が成ったとき敷設していた消火栓配管は35年で
一部近漏水していたのだ。
本来の天守内は火の気のないところ、生活の場でないので失火もない。一番心配なのは人為
的破壊行為だ。天守への入場制限、守衛を増やすことや、美術館のように見守りボランティア
ガイドに常設してもらう方法を姫路城にも導入されるべきである。人間の目が一番なのだ
。(どこの城だったか、天守内にボランティアガイドが常設し、見守りと同時に親切に対応してく
れたのが好印象だ)。
また、桂離宮や、修学院離宮のように、特に希望する者のみ内部見学を許可し、小グループ
に案内人役が1人付き、天守群に入るという方法なども考えられた。
すでに完成された防災工事、出来上がった設備が充分に活用されることを願うのみだが、一
つの意見として記録に残しておきたい。
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姫路城論考 6 (町割り遺構表示と城郭の復元)
姫路城縄張り、規模の大きさをしってもらうためには、遺構表示、城郭の復元が必須である。
遺構表示は文化課の手で進められているが、もっと徹底すべきである。楼門、桐二門、桐一
門付近は早急に路面に遺構表示をして欲しい。三の丸広場は江戸時代のアプローチ道路の
復元をすべきだろう。
シロトピア公園は町割り表記を早急に進めるべきだ。広場の機能を残しておいて武家屋敷の
敷地とまちなみが分かるようにするだけでよい。
道路上の遺構表示は警察署との打ち合わせが必要だろうが、総社門や、野里門などはもっと
分かり易く路面標示をして欲しい。
鳥居先門、北条口門、飾磨門などまでも遺構表示すれば良いと思う。
国道2号線、白露橋から総社前までは、水色のカラー舗装にしたらどうだろう。埋められた中
堀が偲ばれて面白い。昨年埋められた巽の外濠の一部も水色の舗装どうだろう。
復元については姫路市は現存する最高の天守群を持つ甘えか、他域のような城郭建築の
復元が何一つない。今年二月に完成した、姫路城桜門橋は世界遺産に相応しくない鉄橋であ
る。
他市では築城・市政施行の周年記念事業といえば城郭の復興や復元が定番だ。
例えば、熊本城は、築城400年記念事業に本丸御殿の復元をはじめ、戌亥櫓、元太鼓櫓、
未申櫓、南大手門などを復元している。
ほかにも松本市、広島市、和歌山市、など、城を持つ市の周年記念事業は城郭の復元である
。彦根市は市政50周年記念事業rとして昭和62年に表御殿を復元した。
姫路はどうであったのだろうか。市政施工100年の時にシロトピア伯を開催し、莫大な税金を
使いお祭り騒ぎである。記念にシロトピア公園を造ったが、前述の通り往古の町割りを無視し
た公園だ。ネーミングもよくない。北お屋敷がまったく偲べない。好古園は町割りが生かされて
いるのが救いである。
では姫路城について、備前丸御殿や向御屋敷を復元させるというのは間違いである。物に
は順序がある。先ず、絵図門跡付近の濠の掘り起こしが最優先と思う。作事場を復興させる
ことだ。その際、いま動物園で飼われている動物の数を減らし、小学校低学年、幼稚園、保育
園を対象とした飼育しやすい動物だけで良い。動物と親しみ、そこで弁当が閊える場所、それ
でいいではないか。
昭和の初め、市民運動によって西の丸(牡丹園)から桜門にかけての土塀と櫓、門の復元計
画が持ち上がり、図面が描かれ、予算もとれて実行に移されかけたことがある。戦争とインフ
レのために中断し、今ある偽の大手門を軍が造っただけで終わったのだ。もう一度、この計画
を実行に移すことは如何だろうか。
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姫路城論考 7 (姫路城整備基本構想は何処へ)
姫路城の周辺整備にはざっと1000億円の税金がつぎ込まれていたという。担当者の努力
で、城周辺は整備が進み見違えるように美しくなった。
振り返れば、昭和43年に大蔵省、文化庁、兵庫県、姫路市、四者で姫路城周辺地区整理
促進協議会を立ち上げ、将来計画を作った。いわゆる四者協定である。
昭和61年には文化庁、兵庫県、姫路市が協議を重ね、「姫路城跡整備基本構想」が策定
された。計画に沿って姫山住宅始め、市役所、検察庁、裁判所、労働会館、中央保健所、税
務署商工会議所などが移転、お城マート、白鷺町も整備された。
基本構想の原点は、江戸時代の修景復元である。しかし実際は本来の構想と方向が違って
いる点が多々ある。
この度は学者先生方を含めた(新)姫路城跡整備異本構想,再策定されている。内容は今、
まだ公表されていないが、「江戸時代の修景復元」が後退していないことを願っている。この際、
姫路城跡整備基本構想を見直してみたい。本質を見極めない整備は整備という名のもと、城
下町破壊へと進む。
紙面の関係で多くは書けないが、船場川、千姫の小径、内濠還流計画、トイレ整備、お屋敷
跡売店、桜門橋などは基本構想の本質を見直していない。
船場川については、河川本来の持つ浄化機能を生かす為にも護岸は雑割石積とし、川底に
ついては、自然形態の河川とするべし。とあるのに、コンクリートやブロックで固められている。
川に架かる妹背橋と車門橋の復元は鉄筋でなされた。
出石城の登場橋はどこから見ても古工法の木橋だ。太い材木の真意H鋼を入れている。
千姫の小径は、外灯が灯され、柵が設置され、彫刻がおかれ、路面が舗装された。整備前
の情緒ある風景がなくなりさみしい限りだ。
坊主町付近の中濠は狭められた。かなり埋められたのである。教育委員会は昔の遺構は掘
り返せば残っているから、将来、復元が可能という詭弁をいうのである。
整備美化事情の一つにトイレがある。2億円の休憩書兼トイレ、論外である。三の丸と搦め
手のトイレ、いずれも天井の高い鉄筋コンクリート造りである。内曲輪の建物外観は木造に限
る。赤穂や龍野でも木造の公共トイレを造っている。
大手門前周辺整備の総仕上げというべき、御屋敷跡公園と桜門橋については、整備行き過
ぎである。整備という観点のみから、担当者は事業を進めたのである。
しかし、彦根のキャスルストリートは姫路の家老屋敷跡売店と格段の差だ。高山や彦根、津
和野などのような情緒ある町並みが家老屋敷跡に復興できる、絶好の機会であった。
桜門橋構想は木橋復元だったのに、検討会で2スパンの城に不似合いな鉄橋になった。後
退であり、残念だ。急ぐ必要はなかった。本格的な木橋の実現を見るべきだった。木橋につい
ては、彦根、和歌山、松江、赤穂その他多くの城では遺構に沿った本物の木橋を造っている。
姫路城跡整備基本構想の名称を姫路城歴史都市構築構想に名称変更すれば、担当者も
市民も意識が変わるのではないかと思う。
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乾小天守内の城下町模型 |
姫路城論考 8 (総論・城郭歴史都市の構築)
姫路城とその周辺整備について、私の思いを綴ってきた。行政の素晴しい面がたくさんある
のに批判的に辛口で書いてきた、
結論は姫路の生き残りの唯一の方向は官民一体となった江戸時代の修景の復元・城郭
歴史都市の構築だと思い続けている。
市民は意識の高揚を、行政はじぎょうのの推進を。そのためには、世界遺産に奢ることなく、
謙虚によその世界を見ておくべきであろう。まず、赤穂、出石、篠山、彦根、熊本を見てきて欲
しい。彦根では城に対する市民の心を、熊本では官民一体となった城郭復元パワー。赤穂市
の城下町復興も素晴らしい。
行政は縦割りでなく、幅広い視野からじぎょうを推進して欲しい。そのためには、市長、あるい
は副市長の指針の下着実に事業を進められる体制を作ること。移動で担当者が替わっても計
画が揺らいではならない。
姫路に行けば、「日本一の城郭があり、江戸時代の城下町がある」・「姫路には城郭のあら
ゆる図書があり、なんでもしらべられる」・「美術館には城をテーマにした作品が鑑賞できる」・「
「作事場には城郭建築の技術養成所があり、古工法が学べる」要するに姫路に行けば城に関
するあらゆる物と出会える。
そのためには、今ある日本城郭センターを名実とも日本一の城郭資料館として充実させ、県
立歴史博物館とともに、城の学習拠点にする。市民も誇りをもって来訪者に接する。
人気のドイツのローテンブルク、城郭に囲まれた城郭都市を戦災から復興させ、守り通してい
る。それだけで、いつも観光客で溢れている。
今流行りの検定、姫路観光協定を「日本城郭検定」にすべきである。次には「世界城郭検定
」だ。世界遺産の城を持つ姫路にはそれを行う資格がある。
イベントは楽しめるが、一過性である。極論だが姫路城内で行われるイベントを半分にし、そ
の予算を歴史城郭都市建設に充てる。FCのスタッフも、城郭復元・江戸修景復興事業や資料
集めのスタッフになる。姫路といえば城、城といえば姫路のPRはどんどん続ける。十年もすれ
ば滞在型の姫路観光が誕生し始めるだろう。自然にロケも増えるだろう。
意識の高揚と資金には、「復興募金」を設立した熊本を見本にし、支援を仰ぐ。熊本の場合
、広く寄付を募り、一万以上の寄付者は「城主」と呼び、城主権を発行して、十五億円を目標
に寄付を集めた。
姫路城の「しろの日」、お城まつりなどの登閣料無料日を中止するだけで年に何千万かの資
金ができる。
為政者がその気になり、市民が支援し、百年の計でもって推進する。 姫路城郭は名実とも
に日本一、これに城下町が再興されればいつか姫路は世界一の観光都市になること間違い
ない。 |
※ 現在、姫路城がどうなっているのか、そしてどの様にしていけばよいのか皆さまご関心のある方のご意見を伺いたいと思います。色々と考えて活動されている方々や、団体の皆様のご活躍をお祈りしております。 |
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